失われたセルペットのサイドカバーをFRPで自作する



セルペットの右側サイドカバーは欠品していたので、スポーツスターのエアクリーナーカバーで代用している。

これはこれで悪くないのだが、ネジ穴のピッチが合うのをいいことにエアクリーナーエレメントのフタと共締めという無理な取り付け方をしているので、いずれ何かしら不具合が出てきそう。



ヤフオクにもなかなか右側サイドカバーは出てこないので3Dスキャナーを駆使して型をつくり、FRPで自作することにする。



まず3Dスキャナーで左側のカバーをスキャンする。
この場合の3Dとは「ダンボールで どうにか 出来ると思ってる」という意味なのでクオリティの低いブツが出来上がることは確定している。

底の方が車体に取り付けたときにオモテになるので、エンブレム側を上に向けてダンボールで形を合わせる。



養生テープを型枠の内側に貼って、離型材を塗る。離型材はシュアラスターの固形ワックスとシリコンスプレーで代用した。



型の中にガラスクロスを敷き詰め、硬化材をまぜた樹脂をローラーで塗り込む。



樹脂が硬化するのを待って型枠を外すと、このようにサイドカバーの形になる。
クオリティの高いものを作るつもりは初めから無いとはいえ、予想以上にクオリティの低いブツが形成された。
まあ、FRPでパーツを自作するのは今回が初めてなのでちゃんと固まっただけいいとするか。



金ノコでバリを落として「大体このぐらい」の寸法に合わせる。



さすがにデコボコしたままではアレなのでパテで表面を整える。パテを盛っても表面は波打っているが、もう知らん。



塗装して車体側のツメが引っ掛かる溝と、ネジ穴を開けて仮止めをしてみる。

気になる仕上がりはスポーツスターの部品の方が良かった気がするけど
5メートル以上離れて見れば大丈夫。

あとはM6×100mmのボルトとワッシャーを買ってくれば固定できるな。

伊奈街道について調べてみた。

以前早川町にツーリングに行ったときに、早川入往還から繋がり赤石山脈を越えて長野県大鹿村へ至る伊奈街道の存在を知った。

現在、赤石山脈を越えて長野県に至る車道は北沢峠を越える南アルプス林道のみであり、環境保全の観点から開通当初からマイカー規制が実施され、実質的に登山バスの専用道路のようになっているわけだが、明治期にも赤石山脈を越える街道は計画されていた。

南アルプス林道も計画当初は南アルプスで伐採される木材の運搬や、長野県へのアクセスルートとなる大規模林道として有効な道路であると考えられていたものの、全通には多大な期間を要し、その頃には道路としての有効性よりも環境へのインパクトの方が問題になっていた。

このように南アルプスを越える道路を作るのは標高の低い所を選んで、重機や土木技術が発展した時代でも相当な期間が必要になる。そしてブルドーザーやパワーショベルもなかった明治期に計画されたこの伊奈街道、恐ろしいことに一応全面開通し、一部は現存するらしい。



早川町の新倉断層付近にある橋の跡。昭和28年の台風により、完成間もなく流失してしまった橋だが、この橋がかかっていた辺りからは恐らく伊奈街道は伸びていた。



新倉断層にアクセスする現橋の先にはリニアの工事のためか一般車通行禁止となっている林道がある。のっけからバイクでのトレースは不可能だが、地図上ではこの先に赤石山脈の伝付峠に至る登山道が伸びている。

この登山道はかつて伊奈街道として開設された道の一部と思われる。
伊奈街道は山梨県身延町切石からの早川入往還から分岐し、早川町新倉から山に入り、伝付峠(標高2,020m)から大井川西俣を遡り、三伏峠(標高2,580m)で赤石山脈を越えて長野県大鹿村大河原を経て飯田市へと至る。

駿河の海産物を信州伊那へと輸送する目的で明治5~6年頃に計画され、長野県と山梨県が費用を折半することで明治7年に工事が開始。山梨県側だけで述べ15万人が動員され、12年の工事を経て明治19年に開通。幅員は最大で2間(約3.6m、山間部は0.6m程)全長80kmという広域道路であった。

とにかく、赤石山脈越えの区間は2,000m以下の場所が無い。

さすがに山越えの区間は登山道程度のものと思われるものの、地図上の線形を見ると将来的には馬車や自動車の通行も出来るようにするつもりだったのではなかろうか。

あまりにも険しい道のため、開通時に県に検分を依頼したところ、「詮議に及ばず」との文書で済まされた。身延山参拝のルートとしても使われたようだが、維持管理も難しく、開通から数年で通れなくなり、明治30年には荒廃した幻の街道とのこと。
 
全区間をトレースするには相当な登山経験と技術が必要になりそうなので、私の力量では想像もつかないが、もしも何かの間違いでこの街道が車道になって現存していたら、早川町内を通る山梨県道37号から国道152号に繋がる「走りたい。けど行きたくねぇ…」という凶悪なルートになったことは容易に想像できる。

暇潰しにスズキについて調べてみた

セルペットの修理やカタログデータなどの情報を集めていると自然とスズキ車の情報も集まってくる。



織機メーカーとして創業したスズキは自転車用の補助エンジンである1952年のパワーフリー号からバイク製造に進出する。



その後本格的なモーターサイクルとしてコレダ号を発売。当初は丸型だったヘッドライトは他社との差別化を図るためか改良型では特徴的な馬蹄型が採用される。

コレダ号というネーミングは「オートバイはコレだ!」というのが由来だそうで、軽自動車のアルトが「こんな車、あるといいな」ワゴンRは「アルトもあるけどワゴンもあーる」というのが由来(公式サイトでは否定している) なので、この頃からスズキはスズキだった。



ちなみに、セルペットは最初に登場したMA型がセルフスターターを採用したことをウリにしていたので、「セルフスターターを搭載したモペット型バイク」という意味合いだと推測されるものの、私のk10型のようにキック始動のみでモペット型ではないスタイルのモデルが多数存在する。むしろMA型以降は当時のトヨタの小型車ブランドであるトヨペットをパクったあやかって小排気量モデルにセルペットと付けている気がする。両社とも元々は織機メーカーだしな。



時は流れ、コレダ号は2輪のキャデラックと呼ばれた補助灯付の巨大なヘッドライトに足回りはアールズフォーク、当時としては強力な16psを発生する2サイクル2気筒250ccエンジンを搭載したゴージャスな装備のTT型や、



スズキがマン島TTに初挑戦した際に製作したGPレーサーのR60用を基にしたロータリーディスクバルブ方式のエンジンを搭載し、後に駐在所のお巡りさんが乗ってる単車でお馴染みのK125として長いこと生産されるS10を発売し、



独立したスポーツモデルはTシリーズ、GTシリーズ、RGシリーズへと発展し、



最終的にはRGVガンマとして1999年まで2ストロークのスポーツモデルは製造されていた。



1976年に4ストロークエンジンのGSシリーズが発売され、GSXへと発展していき、



ハヤブサやGSX-Rなどに進化していく。個人的な感想だが、ベコもハヤブサも「高速で長時間走るための機能を最優先したら他社よりも微妙に地味なこういう形になりました」というデザインで、30年以上方向性がブレてない。



ところで、このコレダTTは何かに似ている気がする。この色使い、なんとなく漂う特撮っぽさ、展示車を見た人は「すげえ単車が出たな」と感心しつつも横に置いてあるオーソドックスな形のバイクを買って帰りそうな立ち位置のバイクといえば



これだ。キリンさんは泣かないしスズキはブレない。



そういえばGoogleで「スズキ ダサい」と検索するとGS1200SSが一番上に表示されるのだが、これとグースはなぜ売れなかったのか分からないレベルでカッコよかったじゃないか。

セルペットの燃料漏れを修理して乗り回してみた

前回燃料コックのOリングを交換したセルペット。今回はキャブのフロート室からの燃料漏れを直してみる。



現在はこういうシートを切り出して作ったいい加減なガスケットをフロートの合わせ面に挟んでいるが、やはりこれではガソリンの浸透性には無力みたい。



というわけで、いささか乱暴な手段ではあるものの、耐ガソリンの液体ガスケットを紙ガスケットに塗布してしまおう。少し硬化を待ってから組んだものの、貼り合わせるのような形になるので次にキャブをバラすときが少し面倒になるが、漏れるよりはマシだ。



キャブを組み直してガソリンを入れてみた。よし、コックからもキャブからも漏れてない。



このバイクで遠出はやめようと思っていたものの、せっかくなので120kmほど乗り回してみた。

道中特にトラブルも出ず、遊びを調整したクラッチは滑りも改善され、バッテリーも復活。テストコースで計測したトップスピードはメーター読みで80km/h、燃費はリッター38kmをマークした。



ヤマハオートルーブの缶の説明通り20:1で混合ガソリンを作ったが(混合比早見表)、煙幕を張るようなことも無いのでこの混合比で使うことにしよう。


RG125E メンテナンス記録



イーハトーブを入手する時に手放したRG125Eを直したときの話。
1980年に発売された空冷2サイクル2気筒、星形キャストホイール採用という贅沢な造りのバイクである。

RZ250の登場までクラストップの性能を誇ったRG250Eのデザインを踏襲しながらもカクカクしたライトとメーター、長いリアフェンダーのせいでデザインが微妙にアジア向けの現地生産車っぽくなっている。このデザインを未来的にリファインしたらGSR250 になりそうな感じがしなくもない。



一応エンジンはかかるものの、燃料コックからガソリン漏れ、キャブからは物凄い勢いでオーバーフロー、その他色々ボロいレストアベースのジャンク品の状態で引っ張ってきた。



燃料コックはレバーが分解できたので、Oリングを交換して修理。



キャブのオーバーフローはフロートの油面が異常なまでに高くされていたので正常な油面に調整。
恐らくパワーフィルターを装着したは良いが、メインジェットを換えずに油面だけで混合気を濃くしようとしたのだと思われる。



何しろここまでエアクリーナーを塞がないと発進すら出来ないレベルで混合気は薄い。油面だけでは対応するの無理。というか油面を合わせるのは正直なところ面倒くさい。



付いていたエアクリーナーもゴムパイプがヒビだらけだったので傘付きのタイプに交換しメインジェットも交換。

なかなか番手が決まらずに罰ゲームのような作業になったキャブセッティングを終えてようやくマトモに走るように。



外装は磨いたらそれなりになったので



硬化しきったタイヤを前後とも交換。

乗った感想は空冷2サイクルらしい爽快な音と加速感で、重そうな見た目と裏腹に軽快に走る。足に使ってもツーリングに行っても楽しいバイクだった。強いてケチを付けるなら、125ccのクセにリッター17kmという恐ろしい燃費を記録した位か。


プロフィール

コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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