長野、群馬ツーリング その2

前橋市内で一泊して、碓氷峠へ。



横川駅で峠の釜飯を食べて北陸新幹線の開業に伴い廃線となった信越本線の横川~軽井沢の線路跡を利用したアプトの道を歩く。道中には碓氷線の電化当時に使われたレンガ造りの変電所が保存され、当時のトンネルや橋梁が遊歩道として利用されている。



全面踏破といきたいところだが、以前歩いたときに結構な時間がかかったのを思いだしたのでめがね橋へ。



軽井沢側にある第6隧道は横坑と上の換気坑のある辺りがとても良い雰囲気。天城隧道や宇津ノ谷隧道がじっくりと通り抜けたいトンネルだとすれば、この第6隧道はしばらく立ち止まっていたいトンネルだ。



めがね橋の下から伸びる作業道を歩いていくと旧中山道につながるようで、この道は御巡幸道路という明治天皇の北陸道、東海道巡幸のために開削された旧中山道のバイパス道のようなものだそうだ。



アプト式の廃止後に使われていた信越本線の橋の下をくぐると道は崩落していた。このルートも遊歩道として整備される予定があるようなのでいずれまた来るとしよう。


長野、群馬ツーリング

盆休みにツーリングに行ってきた。



まずは長野と群馬の県境にある毛無峠へ。看板には群馬県、関係者以外立ち入り禁止、遭難多発区域とある。



天候のせいで荒廃した近未来のようになっているこの場所はかつて硫黄鉱山が存在していた。この鉄塔は硫黄を運搬する索道の遺構になる。



天気が良ければ日本離れした絶景が広がり、鉱山集落の跡も見えそうだが、ガスってきたので下山。いずれまた天気の良いときに行ってみたい。



せっかくなので国道最高地点のある志賀草津道路を通って群馬県へ。こちらも以前通ったときは素晴らしい絶景が広がっていたはずだが…



ガスってるね
この後視界は20メートルほどに。麓までの道中がとても恐ろしいものになったのは言うまでもない。

奥多摩を探索する その3

奥多摩周遊道路を走っていると、山のふるさと村という場所がある。

キャンプ場や木工や陶芸などのクラフト体験ができる施設があり、奥多摩湖畔の散策路も整備されている。

普通に過ごしても楽しめそうなこの場所に、それはある。



目があった。



地面からオート三輪が生えている。もう少し日当たりを良くすれば荷台の鳥居がシャキッとして屋根が生えて走るようになりそう。



発動機という表現がぴったりな形のOHV単気筒エンジンも残っている。車種はダイハツのSDB型1トン車だそうだ。



山のふるさと村はダム建設に伴い住民が移転した旧小河内村の水没を免れた集落跡に作られている。
このオート三輪も住民が置いていったものだという。



411号線に戻って帰路へ。
現在も道路改良が続く柳沢峠の区間にはいくつか旧道が残っている。

旧道のほとんどは閉鎖されているが、民家がある関係で閉鎖されていない区間には昭和35年竣工の女橋がある。

他の旧道区間に残る橋の竣工年も近いことから考えると、おそらく柳沢峠を越えて奥多摩まで全面的に自動車が通行できるようになったのはこの時期で、それ以前は塩山から丹波山までの馬車道があったようだ。

馬車道を自動車道として改良する際に一部ルートが変更され、塩山の藤尾橋から丹波山の船越橋までの黒川通りと呼ばれる区間は明治の馬車道のまま改良されずに残っている。



黒川通りには411号の羽根戸トンネル付近からアプローチできる。いかにも昔の峠越えの街道といった道が50mほど続き、かろうじて石垣が残る崩落箇所を越えた先には広い馬車道や橋台が原形を留めて残っているそうだが…



無理!帰ろう!踏破した人のレポートを読むと、木にかけたロープに掴まりながら崩落箇所を越えたとか、斜面をよじ登ったなどの記述がある。普通に通行できる道路って実はとても有難い。



奥多摩を探索する その2



ロープウェイが渡っていた奥多摩湖は東京都の水源確保のために作られた昭和32年に完成した小河内ダムの人造湖。



国道411号と平行するように、ダム建設の資材を運んでいた蒸気機関車の線路が残されている。この地点は旧青梅街道をトレースする奥多摩むかし道と交差していてその先には線路と平行するように遊歩道が延びている。



路線名は東京都水道局小河内線。工事用の鉄道ながら国鉄の路線から直通の貨物列車を乗り入れることや、ダム完成後も電化して観光用路線として利用することも考えていたのか、国鉄の線路と同様の規格で作られた。



日原鍾乳洞へと向かう道からはコンクリート製のアーチ橋が見える。氷川駅から水根駅までの標高差は橋とトンネルを組み合わせることでクリアしている。蒸気機関車がここを走る姿は絵になりそうだが、乗務員にとっては過酷だったに違いない。
なにしろ僅か6.7kmの間に23の橋と26のトンネルがあって、勾配は最大で30パーミルもある。



小河内線はダム建設に多大な貢献を果たした。ダムの完成後は列車が走ることはなく、現在は休止線の扱いになっている。

地元の人によると、20年ほど前に線路を活用しようという計画があったものの、整備費の問題で実現しなかったとのこと。テレビの企画でこの線路にトロッコを走らせたことがあるようなのでそのことを言っているのかもしれない。



奥多摩駅を過ぎて、411号を青梅方面に進むと白丸トンネルの脇に数馬隧道という素掘りのトンネルがある。
大正5年に作られたトンネルで、このトンネルが完成したことで、この地は車両での往来が可能になった。



トンネルの上に青梅街道の古道がある。この数馬の切通しは氷川に至る険しい山越えを回避する目的で江戸時代(1700年頃)に作られた。
火を焚いて熱した岩盤に水をかけてヒビを入れ、ツルハシで砕く方法で切り開かれている。
この切通しによって荷を積んだ馬が通せるようになり、多摩川上流の集落との物質的な交流ができるようになったという。



奥多摩にこれだけの物件が揃っているのは、ダム完成後に東京都が水源保護のためにこのエリアの開発を制限する姿勢をとったことが大きいと思う。そして、物件はまだある。

奥多摩を探索する

奥多摩にツーリングに行ってきた。



411号で柳沢峠を越え、奥多摩へと向かう。この辺りは涼しくていいやと峠を下っていると、なにやら錆びついた物体が。



ボロいバスだなぁ…子供が見たら泣くぞこれ。古いバスが物置代わりに使われている光景はさほど珍しくないので今まで気にしていなかったが、よく見るとピラーから何か赤いものが生えている。



アポロウインカーじゃないか!

気になったのでこのバスの素性を調べてみたところ、山梨交通で使われていた昭和30年頃の民生デイゼル(現UDトラックス)製イーグル号というリアエンジンバスだそうだ。

塩山駅~奥多摩(このバスが現役だった当時の名称は氷川)駅を結ぶ路線で運行されていたにしろ、甲府盆地からの最後の回送の終点がここだったにしろ、重ステダブルクラッチで昔の柳沢峠を走るのは大変そうだ。



丹波山村を過ぎて奥多摩町に入る。奥多摩周遊道路の入口付近におよそ手入れがされた形跡も無ければ送電用でもない鉄塔が立っている。上空に張られたワイヤーは山の中に消えていき、その先には



これがある。

名を奥多摩湖ロープウェイといい、昭和37年に開業。奥多摩湖を南北に横断するルートの渡し舟のような役目を持ち、登山者や観光客の需要を見込んで作られたようだが、わずか4年後の昭和41年12月に冬期休業の名目で運行を休止。結局、春が訪れても運行が再開されることはなかった。



運行の再開どころか事業の継続を断念して所在不明にならざるを得なかった運営会社からすれば不本意極まりない事だが、放棄されたこのロープウェイは廃墟として有名になってしまう。

定期的に清掃されているのか、廃墟にありがちな不気味さはそれほど感じられず、人工物が自然に飲み込まれつつある様が幻想的ですらある。



みとう号の愛称が付いた搬器が長い冬季休業に入って51年。この場所に昭和42年の春が訪れ、対岸にいる相棒のくもとり号と再会することは、おそらく無い。




プロフィール

コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
Amazon.co.jpアソシエイト
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR