早川町を走る

山梨県早川町、日本一人口の少ない 町 である。

南アルプスの別名をもつ赤石山脈と櫛形山系の谷を走る早川に沿って集落が点在し、西山温泉にある慶雲館は世界最古の歴史を誇る旅館としてギネスに認定されている。

谷に沿うように走る県道37号線は赤石山脈を越える唯一の車道である北沢峠に通じるものの、自然保護の観点から早川町最北の集落である奈良田でマイカーは通行止めとなっている。



というわけで県道を走って通行止めまで行ってみる。県道37号は一部狭小区間はあるものの、概ね2車線の快走路。



その前に県道から分岐して雨畑湖に寄っておく。この湖は日本軽金属のダム湖で、アルミニウムの精錬に使用する電力を供給する発電ダムがある。
この地区で産出される雨畑真石の正体は遠赤外線を放射する特性をもつブラックシリカであり、古くから多くの書道家に愛される雨畑硯、近年ではブレスレットなどのアクセサリーにも加工されている。



雨畑湖からさらに進むと見神の滝がある。この滝の二段目の滝壺には金があるといわれ、一攫千金を夢見る者が滝に挑むも全て失敗したとの言い伝えが残る。

この滝から先へは静岡市井川へと続く魅惑の峰越えルート、井川雨畑林道が伸びているが、当面の間通行止め。もはや開かずの林道になりつつある。



再び県道に戻り、奈良田へと向かう。新倉には糸魚川静岡構造線の露頭部がある。



世界最古の温泉旅館のある西山温泉を過ぎて、さらに先へと進むと、奈良田に到着する。この地は山梨の秘境と言える集落で、明治までは最寄りの集落まで行くには2時間ほど山を歩く必要があったなど周囲と隔絶されていた土地であり、通常の甲州弁とは異なる奈良田方言というアクセントが関西弁に近い独特の方言が残るという。
また、ここには西山ダムという発電ダムがあり、かつての集落は奈良田湖と呼ばれるダム湖の中に沈んでいる。



さらに北上すると県道は開運隧道のゲートで通行止めとなる。この先は南アルプスの北沢峠を越える南アルプス林道に通じているが、通行出来るのは路線バスとタクシーのみ、自転車も含めて、自前の車両はここで折り返し。


 
帰路は身延山参拝の宿場として栄えた赤沢へ、斜面にひしめき合うように歴史ある建物が建ち並ぶ。



ところで、新倉断層付近にあったこの橋の跡の正体について調べていたら、かつて新倉から赤石山脈を越えて長野県大鹿村へと至る伊奈街道なる街道がかつて存在したという情報が出てきた。(橋は街道とは無関係)赤石山脈を越える街道など計画はあっても実際に作るのは無理だろうと思っていたら…次に行った時に森林軌道の跡と共に探索してみるか。


中山道を旅する



中山道の宿場町、奈良井宿に行ってきた。

約1kmにわたってかつての宿場の雰囲気を残す建物が建ち並ぶ。

江戸時代より漆器や櫛などの木工が盛んで土産物として人気であり、標高1,197mの鳥居峠を越える旅人が体を休めた地である。

周辺には鳥居峠を越える旧中山道の峠道が残り、遊歩道として整備されている。



駐車場には中央本線を走っていた機関車が展示され、近くには中央本線の線形改良により使われなくなったレンガ造りのトンネルが資材置き場として残る。国道19号の新鳥居トンネル付近にも藪の中にレンガ造りのトンネルがあった。

ただ、今回は普通に観光して近くの林道を通って帰るという至ってノーマルなツーリングのつもりなので廃線跡はスルーして地図で林道の場所を確認する。諏訪で峠の釜飯も食べたしな。



このトンネルと峠道の位置関係から察するに…恐らく国道19号の旧道だ。やったぜ。



問題の旧道は途中で中山道の徒歩道と何ヵ所か交差しながら鳥居峠へと向かう。峠付近の案内板に旧国道の表示を確認。ここは間違いなくかつての国道だ。



路面は荒れた所も少なく走りやすい。ゆっくり走っても30分程で峠を越えられる。車道は作業道と携帯電話の中継局に通じる枝道があり、現在は普通に林道として使われているようだ。



峠付近にある徒歩道との分岐点。この位置からは奈良井宿が見える。この道は明治新道といい、開通した明治23年から昭和30年まで鳥居峠を越える唯一の車道だったそうな。



そうなると車体の大小を問わず自動車と名の付くものはこの道路を通るわけで、現在は昭和53年完成の新鳥居トンネルであっという間に鳥居峠を越えられるものの、交通量は今より少ないとはいえ、国道だった当時の峠越えは1時間じゃ済まなかったんじゃなかろうか…

昭和30年に現在は封鎖されている旧鳥居隧道(写真を見る限りガチガチに入り口がコンクリで埋めてあり、電力設備か何かが中に入ってそう)が開通するも、その数年後には新トンネルの計画が持ち上がるというあたり、戦後の自動車の普及ペースが分かるというもの。

残るは徒歩での峠越え。奈良井から藪原までは3時間程かかるようなので次に行ったときの宿題にしておこう。


大崩海岸を探索する

宇津ノ谷峠の探索を終えた帰路、大崩海岸によってみた。



この大崩海岸、地名の由来は恐らくそのまんまである。
写真にある洞門は土砂崩落によって放棄され、現在は海上に橋をかけることで崩落を回避している。

また、海上橋から続く崖沿いに走る県道も崩落によって不通となり、2017年に新たなトンネルが完成するまで数年不通となっていた。150号線のバイパスでこの険しいルートは回避できるものの、この山肌のイケそうな所に道を通したような難所はかつて国道150号線として指定されていた。

それ以前には浜辺を通る街道が存在したようだが、現道が100mmの雨で通行止になることを考えると、現在以上の難所であった事は想像に難くない。



洞門の写真を撮った地点から振り返ると、アーチ状の構造物が転がっているのが見える。
これは東海道本線の石部隧道の一部で、台風と海岸侵食によってこのような状態となった。

というわけで、抗口まで行ってみる。抗口までの行き方は割と危険なので念のため伏せておく。



禍々しささえ感じさせる二本のトンネルは形を留めているものの、かつて路盤があった場所は海に飲み込まれ、自然に返りつつある。
石部隧道は東海道本線のトンネルとして明治21年に完成。その後東海道本線が日本坂トンネルを通るルートに変更されると線路跡は車道として転用される。



その後の昭和23年、アイオン台風によりレンガ造りの抗門が崩壊。その後に新幹線が日本坂トンネルを使用するルートに決まると、隣の磯浜隧道と石部隧道とを1本のトンネルとして結合する形に改修され、再び鉄道トンネルとなった。これが現在の東海道本線石部トンネルとなる。



二つのトンネルを結合させたために、崩壊した石部隧道の焼津側と磯浜隧道の静岡側の抗口と、その間にある路盤は役目を終え、自然に飲み込まれるのを待つばかりとなった。
磯浜隧道へ続く路盤は旧石部隧道の抗門と同じく崩落や海岸侵食が進んでいる。磯浜隧道の抗口は埋め戻されて現存しない。

ここにあるトンネルや路盤が役目を終えて50年あまり。そう遠くない未来には、完全に自然に返ることになりそうだ。

ご注意:探索には崩落や滑落などの危険が伴います。この記事を参考にしたことによって生じた事故や損害について、当方は一切責任を負いません。


 

宇津ノ谷峠の古道を歩く その2

蔦の細道の踏破を終えて、旧東海道へと向かう。



川に沿って続く道には水車小屋らしき建物や石積みの堰堤がある。



つたの細道公園付近から旧東海道にアプローチすることができる。このルートは豊臣秀吉が進軍のために開いた道といわれ、明治時代にトンネルが開通するまで東海道の主要ルートとして機能していた。



こちらの峠道はいわばバイパスのようなものだけあって勾配も緩く、道幅も広くて歩きやすい。この時点で小雨がぱらついてきたので早いとこ峠を越えてしまおう。



途中の分岐に排気口という地名が出てくるが、これはそのまんま国道1号のトンネルにある排気口のメンテナンス用道路。旧東海道は石垣の上にある。



しばらく歩くと峠に到着。蔦の細道よりも峠に着くまでの時間はかなり早い。



峠であることを示すのはこのプレートだけで眺望が開けるわけではないが、峠道というのは山肌を巻いていくので無ければ大体こういうものである。



峠を下って行くと地蔵堂跡の石垣が現れる。峠の地蔵というのは安全祈願だけでなく、道標のような役割もあったのだそうだ。



開けた場所からは宇津ノ谷地区の建物が見える。遠くで雷の音が聞こえはじめたので早いとこ下ってしまおう。



竹林をすぎると明治トンネル方面と宇津ノ谷地区方面への分岐がある。トンネルに行きたい衝動を押さえつつ宇津ノ谷地区に向かう。



宇津ノ谷地区は旧東海道の丸子宿と岡部宿の間にある間の宿であり、街並みには街道の面影が残り、保存されている。

これにて宇津ノ谷峠の全ルートは制覇。幸いにも雨はすぐに止んだのでどうにかずぶ濡れで山歩きをする羽目にはならずに済んだ。


宇津ノ谷峠の古道を歩く

以前トンネル群を探索した宇津ノ谷峠。今回はやり残した旧東海道の古道を探索してきた。



まずは道の駅宇津ノ谷峠から蔦の細道と呼ばれる古道にアプローチする。



この峠道は平安時代から室町時代にかけて利用された古道で、宇津ノ谷峠越えの道としては最も古いものになる。



距離としてはそれほど長いコースではないものの、急勾配で峠に向かう道は運動不足の体にはなかなか堪える。この写真を撮った地点は入口から300m程だが、涼しいながらもじんわりと汗をかく。

旧東海道の 薩埵峠もそうだが、何日もかけて東海道を歩いてこの急勾配の峠まで越えていた昔の人の足腰の強さには感心するばかり。



体が歩くモードに切り替わったあたりで峠に到着。晴れていれば富士山まで見渡せるそうだが、この日はこのような天気。まあいつもそんなもんだ。



江戸期まで使われた旧東海道に向かうために峠を岡部側に下っていく。



勾配は相変わらずきついものの比較的歩きやすい。このように趣のある石畳などに旧街道らしさが出ている。



下りきる直前にはこのようなガレ場があるものの、道の駅から登って岡部側に下る方が体力的には楽そうだ。



これにて蔦の細道の踏破は完了。江戸期の旧東海道に向かう。
プロフィール

コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
Amazon.co.jpアソシエイト
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR