山梨馬車鉄道を辿る

山梨県の廃止された鉄道といえば山梨交通電車線(ボロ電)が有名だが、それ以前にも山梨馬車鉄道という路線が明治31年から昭和3年まで存在した。この路線はガタ馬車の愛称で親しまれた。

ボロ電の母体ともいえる路線であり現在の甲州市勝沼から甲府市を経由して富士川町鰍沢までを結んでいた。馬車鉄道の名前の通り軌間2尺2寸(666mm)のレールの上を馬に引かれた客車が走っていたという。



廃止から90年近く経っているので廃線跡をトレースするのは不可能だと思っていたらWikipediaに詳しい停車駅が載っていた。OK余裕、大体知っている地名だ。
地図を見ると恐らく富士川町から国道52号の旧道~県道26号~県道3号~国道411号が線路の跡だと当たりをつけてみた。痕跡は何も無さそうだけど歴史とアスファルトに埋もれた馬車鉄道を掘り起こしてみたい。



という訳で富士川町の鰍沢河岸跡からスタート。海が無いのに甲斐の国と言われ、東西南北を山の名前で覚える程度には四方を山に囲まれた、おおよそ水運とは縁が無さそうな山梨県だが、江戸時代から鉄道路線が整備される20世紀初頭までは富士川を運河のように使う富士川舟運と呼ばれた水運が輸送の主力として機能していた。主に静岡側からは塩などの海産物、山梨からは米を積んだ船が行き交っていた。



旧52号を北に向かうと停留所のあった追分に。ここまでの沿道は商店の件数に対して米穀店が比較的多く、恐らくは水運が盛んだった頃の名残と思われる。水運の発着点の鰍沢から北への陸上輸送の手段として馬車鉄道は敷設された。



追分から県道26号を走り、釜無川に掛かる浅原橋を渡って中央市に入る。この区間にはいくつか馬車鉄道の停留所と同名のバス停があり、ルートを追跡するのに助かる。とはいえ、いたって普通の県道が続くため、本当に経路をトレースしているのか半信半疑になってくる。どっちにしろこの道路が当たらずとも遠からずといったところか。



バス停と交差点の地名で路線のトレースができていることを確認しながら昭和町を通って千秋橋を渡って甲府市街地へ。山梨馬車鉄道は石和からここまでの区間が最初に開通し、その後勝沼と浅原橋に線路を伸ばし、鰍沢馬車鉄道の路線を合併して最大となった。
Wikipediaから引用した白黒写真は現在の411号城東通りで撮られたものだそうで、県道3号と合流する地点で勝沼に向かう線路と中央本線の開通後に追加された甲府駅前に向かう線路に別れていたと思われる。



甲府市街から石和まで混雑していたのでノロノロ運転なのをいいことに何か馬車鉄道の痕跡は無いかと探してみるも、甲州街道の頃からあると思われる道標があるぐらいだった。



笛吹川を渡ってしばらく走ると停留所の一覧にある日川橋を渡る。この橋を越えると終点の勝沼も近い。完全に日が暮れているけど、色々と用事を済ませて午後4時過ぎにスタートしたのがいけない。



勝沼のどの辺りに終点の駅があったのかは郷土史でも見ないと出てこなさそうなのでゴール地点は勝沼ぶどう郷駅とした。
その後に甲府まで伸びてきた中央本線と身延線と見事に並行するようなコースをとっていた馬車鉄道の経路は、電車線となる際は南アルプス市内を経由するルートに大幅に変更された。もしも馬車鉄道のルートに気動車が走っていたとしても、東京から険しい笹子峠をトンネルでぶち抜いてやって来る中央本線と、静岡から富士川沿いの険しいルートを多数のトンネルでぶち抜いてやって来る身延線の2線には対抗できなかっただろう。ただ、この馬車鉄道はこの2線が存在しなかった時代の山梨県の陸上輸送に大きな役割を果たしていたのは間違いない。

勝沼駅の周辺には新線付け替えでお役御免となった旧線が遊歩道として残っているので明るい時に久々に歩いてみたい。その前に鰍沢より南の富士川舟運の痕跡を探ろうか…

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コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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