ボロ電の痕跡を追う

かつて甲府市と富士川町の間を結んでいた山梨交通電車線の跡を走ってみた。

この路線は昭和5年に開通し、ボロ電の愛称で沿線住民の足として親しまれた。当時の駅数は28。総延長は20.2km。戦後の自動車の普及による乗客の減少や昭和34年の伊勢湾台風による被害などにより、昭和37年に廃線となり、線路跡はそのまま廃軌道という名前の県道に転用された。

廃軌道自体はなんて事の無い県道でこの電車線も存在を知った頃には既に都市伝説のような扱いだった。ただしよく見ると沿道には電車線だったころの痕跡が少しばかり残っているので探索してみたい。



まずは甲府駅北口からスタート。ほんの10年ほど前までは何も無かった北口は甲府城の城下町を再現したような建物が並ぶ。南口側にボロ電の起点となる駅があったが、当時の面影は残っていない。甲府駅周辺を歩くなら昼間は比較的史跡や観光地の多い北口側(史跡と観光地には武田神社や昇仙峡や湯村温泉と積翠寺温泉も含まれるので移動手段を確保することを推奨。徒歩では遠い)、夜は酒処の多い南口側がオススメ。



画像の奥に見える白い建物がかつてのボロ電の起点。舞鶴公園と呼ばれる甲府城の石垣の横を通って甲府市街へと向かう。当時の駅ビルはもちろん建て替えられ現在は山交百貨店として運営されている。起点から甲府の市街地は路面電車として運用されていた。当時の写真にもこの場所を走るボロ電の姿が写っている。ここから併用軌道が荒川橋まで続く。


 
石垣の向かいにあるのはボロ電が開通した昭和5年に建てられた県庁の建物。現在の本庁舎は別の建物になっていて、別館として使われている。県議会議事堂と共に文化財に指定され、建屋内の一部は山梨近代人物館として見学が可能。当時の内装が復元されている。



荒川橋を過ぎると線路は専用軌道の区間となる。なぜコジマの建物が写っているのかというと、ここに貢川車庫と呼ばれる車両基地ようなものが存在した。廃線後は山梨交通バスの営業所になり、ダイエーになり、現在のコジマになった。1階の駐車場はよく見るとバスターミナルの面影が残っている。



専用軌道の区間に入るとこのような緩い線形や、車道に転換するときにレールを撤去した盛土の上にそのままアスファルトを敷いたのか古くからある寺や店舗の敷地は道路よりやや下にあるなど、かつてこの道が線路だったことが分かるものが増えてくる。



また、このように不自然に路肩や歩道が広くなっている場所が何ヵ所もある。バス亭になっている場所が多く、電車線時代の駅名とバス亭の名称が同一な場所には駅があったと思われる。



南アルプス市から富士川町内に入ると道幅が単線の鉄道跡らしくなってくる。この先には橋があり、その下を通る利根川はかつて川床が周囲の土地よりも高い位置にある天井川だったため、電車線時代は川の下をトンネルで抜けていた。ここがボロ電の唯一のトンネルとなる。



橋の近くの公園には車両が展示されている。このモハ7形は電車線の廃止後、上田電鉄で使われ、その後に江ノ電で使われた後、現在の場所に保存されている。



橋を渡り、しばらく走ると終点となる甲斐青柳駅の跡地に出た。この敷地も廃線後に山梨交通の営業所となり、その後はローソンになり、現在は中華料理店になっている。ボロ電が走った区間はこれで終わりだが、実はボロ電には延伸計画があった。



計画どおり延伸されていれば線路はこの先を通って身延線の鰍沢口駅まで延びる予定だったという。突き当たりの部分までは用地の確保はされていたようだ。もしも身延線に接続することが実現していたとして、廃軌道の距離が少しばかり伸びる位で特に歴史に変わりは無かったと思う。ただ、甲府盆地の南の端の住人が個人的な願望を述べるなら車で甲府駅周辺に行くと渋滞と駐車場探しが正直メンドクサイのと、北口で試飲会やらビアガーデンとかやってたらフラッと寄ってちょっと一杯ひっかけて帰るという事も気軽にできるので、この電車が今もあれば便利なのにと思ったりする。終電がやたら早そうだけど。



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Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
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テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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