長野、群馬ツーリング その3

温泉に入って、北軽井沢へ。



昭和37年まで草津~軽井沢間を運行していた草軽電気鉄道の北軽井沢駅が保存されている。



この駅舎は日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」に登場し、神社仏閣を思わせる外観は信州善光寺をモデルにしている。



北軽井沢から有料道路なのになぜか旧道っぽい白糸ハイランドウェイを軽井沢へと下っていくと線路跡が道路になっている区間がある。奥の1段高くなっている車線が線路の跡で、付近には旧三笠ホテルがある。



旧三笠ホテルは明治39年に開業した純木造の西洋式ホテルで、多くの著名人が訪れたことから軽井沢の鹿鳴館と呼ばれていた。周りを囲む森と建物の組合せが素晴らしい。

ところで、北軽井沢といえば戦後の日本のモータースポーツを語るときに欠かせない浅間火山レースの舞台である。
1955年の第1回大会は北軽井沢をスタート地点とする公道を使用して開催される。1957年に浅間高原自動車テストコースが完成し、第2回大会からはこのコースを舞台に開催されることになる。

舗装こそされていないが1周9.3kmの国内初の本格的なロードコースには、ホンダ、ヤマハ、スズキという現存するメーカーから、メグロやトーハツ、ポインターといった幻となった名車が集い、ライダーは幻の天才、伊藤史郎をはじめとして、第3回大会でホンダのRCレーサーを押さえてベンリイ改で優勝を飾った北野元、マン島TTで日本車に乗る日本人選手として初の入賞者となる谷口尚己、後に四輪レーサーとしてスカイラインの黄金時代を築くことになる高橋国光、砂子義一といった現代にも語り継がれる名人である。



浅間火山レースが開催された期間は短いが、コースは現存している。残念ながら時折エンデューロやダートトライアルが開催される日以外は立ち入り禁止になっている。

ここからは想像力の勝負だ。

現在、私が立っているのはホームストレート。幅員はおよそ20メートル。勾配は殆ど無い。霧のため最終コーナーの大森カーブの線形を伺うことはできない。

振り返ると、カスミのカーブをはじめとする緩いコーナーが連続する区間が続き、ファーストファイトと呼ばれるストレートを経て180度ターンし、セカンドファイトへと続くのだが、この区間は牧草地に戻されている。それでも、大森カーブを立ち上がって全力でホームストレートを駆け抜け、ファーストファイトへと至るマシンの姿を想像するには充分だった。



そして、軽井沢から上信越道へと至る道から見える山はドラゴンボールを思い出すのに充分であった。
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コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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