伊奈街道について調べてみた。

以前早川町にツーリングに行ったときに、早川入往還から繋がり赤石山脈を越えて長野県大鹿村へ至る伊奈街道の存在を知った。

現在、赤石山脈を越えて長野県に至る車道は北沢峠を越える南アルプス林道のみであり、環境保全の観点から開通当初からマイカー規制が実施され、実質的に登山バスの専用道路のようになっているわけだが、明治期にも赤石山脈を越える街道は計画されていた。

南アルプス林道も計画当初は南アルプスで伐採される木材の運搬や、長野県へのアクセスルートとなる大規模林道として有効な道路であると考えられていたものの、全通には多大な期間を要し、その頃には道路としての有効性よりも環境へのインパクトの方が問題になっていた。

このように南アルプスを越える道路を作るのは標高の低い所を選んで、重機や土木技術が発展した時代でも相当な期間が必要になる。そしてブルドーザーやパワーショベルもなかった明治期に計画されたこの伊奈街道、恐ろしいことに一応全面開通し、一部は現存するらしい。



早川町の新倉断層付近にある橋の跡。昭和28年の台風により、完成間もなく流失してしまった橋だが、この橋がかかっていた辺りからは恐らく伊奈街道は伸びていた。



新倉断層にアクセスする現橋の先にはリニアの工事のためか一般車通行禁止となっている林道がある。のっけからバイクでのトレースは不可能だが、地図上ではこの先に赤石山脈の伝付峠に至る登山道が伸びている。

この登山道はかつて伊奈街道として開設された道の一部と思われる。
伊奈街道は山梨県身延町切石からの早川入往還から分岐し、早川町新倉から山に入り、伝付峠(標高2,020m)から大井川西俣を遡り、三伏峠(標高2,580m)で赤石山脈を越えて長野県大鹿村大河原を経て飯田市へと至る。

駿河の海産物を信州伊那へと輸送する目的で明治5~6年頃に計画され、長野県と山梨県が費用を折半することで明治7年に工事が開始。山梨県側だけで述べ15万人が動員され、12年の工事を経て明治19年に開通。幅員は最大で2間(約3.6m、山間部は0.6m程)全長80kmという広域道路であった。

とにかく、赤石山脈越えの区間は2,000m以下の場所が無い。

さすがに山越えの区間は登山道程度のものと思われるものの、地図上の線形を見ると将来的には馬車や自動車の通行も出来るようにするつもりだったのではなかろうか。

あまりにも険しい道のため、開通時に県に検分を依頼したところ、「詮議に及ばず」との文書で済まされた。身延山参拝のルートとしても使われたようだが、維持管理も難しく、開通から数年で通れなくなり、明治30年には荒廃した幻の街道とのこと。
 
全区間をトレースするには相当な登山経験と技術が必要になりそうなので、私の力量では想像もつかないが、もしも何かの間違いでこの街道が車道になって現存していたら、早川町内を通る山梨県道37号から国道152号に繋がる「走りたい。けど行きたくねぇ…」という凶悪なルートになったことは容易に想像できる。

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コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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