駿遠線 五十岡駅跡

かつて藤枝市から袋井市までを結んでいた静岡鉄道駿遠線という鉄道があった。

駿河湾と遠州灘に沿うように設置された路線距離は64.6km。軌間762mmの軽便鉄道として日本一の距離となる。

こういった鉄道は自動車の普及や施設の老朽化に伴い、トラックやバスにとって変わられるのが大半だが、駿遠線も例外では無く1970年に廃線となる。

線路跡は自転車道となっている区間が多く、今回寄った五十岡駅と石津駅にはホームの遺構が残っている。



電停という呼び方の方がしっくりくるような駅跡はちょっとした公園のようになっていて、駿遠線を辿るウォーキングマップが設置されている。
車に自転車を積んでくればよかった。



線路跡の様子はこのようになっている。
中央に敷かれたブロックが、ここに線路があったことを主張しているようだ。



恐らく軽便鉄道の頃から使っている橋もある。最後まで電化はされなかった。



袋井駅側に進んで行くと駿遠線の説明文が書かれたベンチがある。現役当時は住民の足として重宝されていたようだ。



保存車は藤枝市郷土博物館にある。
駿遠線の主力はディーゼルカーやガソリンカーだったが、現存する車両は蒸気機関車のB15型1両だけとなる。

国鉄よりも狭いレールを使っていたため、この機関車もコンパクトで可愛らしいスタイルをしている。
博物館内の見学は間に合わなかったが、館内には駿遠線に関する映像やジオラマといった資料が展示されているので、いずれ再訪してみようと思う。

次回は自転車を積むのを忘れないようにしなければ…
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掛川市 小夜の中山と東海道石畳

岩谷隧道の次に向かったのは箱根峠、鈴鹿峠と並んで東海道の三大難所として知られる小夜の中山。



標高252mのかつての難所は急坂ではあるものの、現在では容易く車で越えてしまえる。当時はもちろん舗装などは無く、さらに山賊が横行する危険地帯で、峠越えは容易では無かったそうだ。



金谷駅方面へと下っていくと、旧東海道の石畳がある。



この石畳は地元の人達によって復元されたもので、大井川の河原石を敷き詰めてある。
30メートルほどの区間には江戸時代からの石畳が残っていて、その区間は牧之原台地の山石を使っている。砂利やぬかるみの峠道に比べれば、格段に歩きやすかったに違いない。

道中には滑らないことに因んで、すべらず地蔵尊という地蔵堂があり、受験生や芸人の願掛けにもおすすめだ。

このルートはハイキングコースになっているので、金谷宿から掛川宿まで自転車か歩きでゆっくりと辿ってみるのも面白そうだ。

掛川市 岩谷隧道

静岡に行く用事があったのでついでに掛川の周辺をうろうろしてきた。

まずはナニコレ珍百景で紹介されたこともある掛川市の岩谷隧道に行ってみる。



入り口はこんな形。公園なんかにありそうな内壁の補強の仕方だ。何となく水路のように見えてくる。

当然、これが出口まで続くのかと思いきや…



ものすごくワイルドになる。一応、扱いとしては車道だ。



岩が張り出している場所には蛍光色でペイントがしてあり、高さ制限の理由になっているだろう岩にはハツリ作業を試みたような跡が付いている。



更に進んで行くと、天井が高くなる。
このトンネルの横の断面はドラえもんのガリバートンネルのようになっているみたいだ。



反対側に出た。こちら側から入ると進むにつれて段々と狭くなるので、更にガリバートンネル感がある。

珍百景によると、大正時代に山を挟んだ集落の行き来をしやすくするために住民総出でツルハシで掘ったトンネルだそうだ。街中から少し外れた場所にこんなトンネルが現役で残っているとは…

一応車道扱いなので、ラパンで通過してみようかと思ったものの、怖いのでやめた。

長野、群馬ツーリング その3

温泉に入って、北軽井沢へ。



昭和37年まで草津~軽井沢間を運行していた草軽電気鉄道の北軽井沢駅が保存されている。



この駅舎は日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」に登場し、神社仏閣を思わせる外観は信州善光寺をモデルにしている。



北軽井沢から有料道路なのになぜか旧道っぽい白糸ハイランドウェイを軽井沢へと下っていくと線路跡が道路になっている区間がある。奥の1段高くなっている車線が線路の跡で、付近には旧三笠ホテルがある。



旧三笠ホテルは明治39年に開業した純木造の西洋式ホテルで、多くの著名人が訪れたことから軽井沢の鹿鳴館と呼ばれていた。周りを囲む森と建物の組合せが素晴らしい。

ところで、北軽井沢といえば戦後の日本のモータースポーツを語るときに欠かせない浅間火山レースの舞台である。
1955年の第1回大会は北軽井沢をスタート地点とする公道を使用して開催される。1957年に浅間高原自動車テストコースが完成し、第2回大会からはこのコースを舞台に開催されることになる。

舗装こそされていないが1周9.3kmの国内初の本格的なロードコースには、ホンダ、ヤマハ、スズキという現存するメーカーから、メグロやトーハツ、ポインターといった幻となった名車が集い、ライダーは幻の天才、伊藤史郎をはじめとして、第3回大会でホンダのRCレーサーを押さえてベンリイ改で優勝を飾った北野元、マン島TTで日本車に乗る日本人選手として初の入賞者となる谷口尚己、後に四輪レーサーとしてスカイラインの黄金時代を築くことになる高橋国光、砂子義一といった現代にも語り継がれる名人である。



浅間火山レースが開催された期間は短いが、コースは現存している。残念ながら時折エンデューロやダートトライアルが開催される日以外は立ち入り禁止になっている。

ここからは想像力の勝負だ。

現在、私が立っているのはホームストレート。幅員はおよそ20メートル。勾配は殆ど無い。霧のため最終コーナーの大森カーブの線形を伺うことはできない。

振り返ると、カスミのカーブをはじめとする緩いコーナーが連続する区間が続き、ファーストファイトと呼ばれるストレートを経て180度ターンし、セカンドファイトへと続くのだが、この区間は牧草地に戻されている。それでも、大森カーブを立ち上がって全力でホームストレートを駆け抜け、ファーストファイトへと至るマシンの姿を想像するには充分だった。



そして、軽井沢から上信越道へと至る道から見える山はドラゴンボールを思い出すのに充分であった。

長野、群馬ツーリング その2

前橋市内で一泊して、碓氷峠へ。



横川駅で峠の釜飯を食べて北陸新幹線の開業に伴い廃線となった信越本線の横川~軽井沢の線路跡を利用したアプトの道を歩く。道中には碓氷線の電化当時に使われたレンガ造りの変電所が保存され、当時のトンネルや橋梁が遊歩道として利用されている。



全面踏破といきたいところだが、以前歩いたときに結構な時間がかかったのを思いだしたのでめがね橋へ。



軽井沢側にある第6隧道は横坑と上の換気坑のある辺りがとても良い雰囲気。天城隧道や宇津ノ谷隧道がじっくりと通り抜けたいトンネルだとすれば、この第6隧道はしばらく立ち止まっていたいトンネルだ。



めがね橋の下から伸びる作業道を歩いていくと旧中山道につながるようで、この道は御巡幸道路という明治天皇の北陸道、東海道巡幸のために開削された旧中山道のバイパス道のようなものだそうだ。



アプト式の廃止後に使われていた信越本線の橋の下をくぐると道は崩落していた。このルートも遊歩道として整備される予定があるようなのでいずれまた来るとしよう。


プロフィール

コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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