セルペット 電撃丸を使ってみる。

私のセルペットのバッテリーは弱っている。一応走れば充電されるものの、数時間後には弱々しくニュートラルランプを光らせるのが精一杯になってしまう。



新品のバッテリーに交換すれば解決するのだが、完全に終了しているわけではないので悪あがきにケミカルを投入してみる。硫酸化合物がサルフェーションに効くというこちらの電撃丸。効果があればしばらく今のバッテリーが使えるし、効果が無ければ新しいバッテリーを買う決心がつく。



使い方はバッテリーの1セル毎に1粒投入するだけ。4輪のバッテリーの蓋に合わせた大きさなのでバイクのバッテリーに使う場合は砕いて投入する。3セルの6Vバッテリーなので3個使用する。

余った3個がもったいないので全部投入した。そもそも二輪車には使用しないで下さいとパッケージに書いてあったけどまあいいや。
※この記事は交換予定のある上がりかけのバッテリーに対してわざと誤った使用方法を試しています。この記事を参考にしたことによって起きた事故や損害について、当方は一切責任を負いません。

とりあえずしばらく走ってアイドリングでもウインカーとブレーキランプがちゃんと光る程度にバッテリーを充電。数時間後にエンジンをかけずにニュートラルランプとブレーキランプを点灯させてみると今までより多少はマシになっていた。いずれ新品バッテリーには交換することになるんだけどしばらくはこれでいいか。


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セルペット ライトを直す

手元に戻ってきたときからハイビームが点かないセルペット。

夜はほとんど乗らないしロービームは光るので放置していたものの、ようやく涼しくなってきたので直してみる。



セルペットの場合、ライトの切り替えスイッチは左側にある。ちなみにライトを点灯するときは左のサイドカバーにある鍵を1段階回すとライトが点く。

では、スイッチをばらして…



ああ、これ戻すのがめんどくさいやつだ。めんどくさすぎてピンぼけだ。

接点を磨いて、戻そうとすると細かい部品が落ちる。ついでなのでホーンスイッチの接点も磨く。もう1回やる。細かい部品が落ちる。「クッソ、めんどくせ…」の流れを何回か繰り返して復元は終了。



ハイロー切り替えも問題なくできるようになったのでもうライトの角度を手で動かさなくてもいいぞ。
まあ原因はソケットのギボシが抜けてただけなんだけど。


グラストラッカー 生産終了のお知らせ

SR、セロー、ドラッグスターの生産終了を惜しむ声の中で、ひっそりとグラストラッカーシリーズにも生産終了の文字が。

エンジンもフレームもベースとなったGN250やボルティの時代から長いこと使っているので今回の排ガス規制で終了するのは仕方ないといえば仕方ない。
ついこの間出たバイクだと思っていたら、もう17年も作っていたなんて。



2000年にボルティをベースにしたストリートトラッカーとして発売。モーターショーに出展したボルティのカスタムモデルが好評だったので市販化された形だ。



2001年にはビッグボーイが追加。大径ホイールとブロックタイヤを装着し、走破性を高めたモデル。



2004年にはエンジンがそれまでの4バルブヘッドから2バルブヘッドになり、メッキシリンダーが採用される。



2008年にキックが廃止され、インジェクションの採用とタンク容量をそれまでの6lから8.4lに拡大されて、シートが少し厚くなり、2017年8月末まで生産されていた。

仲間内でビッグボーイ乗りがなぜか多かったこともあり、4バルブ、2バルブとも借りて乗ったことがある。そしてインジェクションのモデルは現在所有している。

エンジンに関してはキャブの2バルブと4バルブは違いは長時間乗っていないのでそれほど差は感じなかったが、キャブ車とインジェクションはちょっと乗っただけで違いが分かる。

キャブ車の方は規制が緩いのでトルク感が強く、インジェクション車はスムーズに回るが若干トルクが薄い印象。ただ、キャブのKLX250に乗っていた頃に出たばかりのインジェクションのKLXを試乗したら同じ感想になったので、そんなものなんだろう。

全年式に共通して言えるのはワイドなアップハンドルは乗ってて気持ちいいことと、最低地上高も充分に確保されているのでオフロードバイクほどでは無いが走る場所を選ばずどこでも行ける。

軽量な車体は取り回しも苦にならず、ハンドリングも自然なフィーリング。
難しい事は考えずに普通にバイクで移動する事が楽しいバイクだ。

恐らくこのバイクに某社の某(不本意な手放し方をしたので、もう1回乗りたいと思ったら中古車が馬鹿馬鹿しい値段になってた。カタログモデルだった頃は「1100の方がいい」とか「教習所にあるやつ」とか「車に例えるとマークIIグランデ」と言われて見向きもされなかったバイクが生産終了すると突然「古きよき時代の乗り味を現代に伝える」名車に化けるらしい。信号待ちからクラッチを繋いだだけで自然と口元が緩むような良いバイクだったけどね)のようなプレミア価格が付くような事はないと思うけど、ピザポテトやカールが高値で取引される時代なので、グラストラッカーが欲しい人は新車も中古車も適正な値段で売っている今のうちに買っておいた方がよさそうだ。

グラストラッカー TT100GPに交換

私のグラストラッカービッグボーイの標準タイヤはダンロップのK180。

グルービングの入った路面でハンドルを取られる以外は特に不満もないタイヤだが、スリップサインが出てきたので交換した。



交換したタイヤは同じダンロップのTT100GP。同じK180でもよかったし、ロードタイヤならブリヂストンのアコレードの方が減らなそうだが、在庫があったのでこれに。

見た目の印象は無印のグラストラッカーがこのタイヤを履いているので全く違和感は無い。
K180のようにグルービング路面でハンドルが振れるようなこともなく、グリップはグラストラッカーにはオーバースペックなぐらい。

ハンドリングは自然なフィーリングで、若干重い印象があったK180よりはこちらの方が好みだ。



では、林道へ

このぐらいの場所なら通過は可能。わざとやらなければ空転もロックもしない。さすがに泥では空転して進まなくなったが、フラットダートなら大丈夫だ。

あとはスリップサインが出るまで1万kmぐらい走れれば言うことなし。ただ、あまり期待はしていない。

長野、群馬ツーリング その3

温泉に入って、北軽井沢へ。



昭和37年まで草津~軽井沢間を運行していた草軽電気鉄道の北軽井沢駅が保存されている。



この駅舎は日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」に登場し、神社仏閣を思わせる外観は信州善光寺をモデルにしている。



北軽井沢から有料道路なのになぜか旧道っぽい白糸ハイランドウェイを軽井沢へと下っていくと線路跡が道路になっている区間がある。奥の1段高くなっている車線が線路の跡で、付近には旧三笠ホテルがある。



旧三笠ホテルは明治39年に開業した純木造の西洋式ホテルで、多くの著名人が訪れたことから軽井沢の鹿鳴館と呼ばれていた。周りを囲む森と建物の組合せが素晴らしい。

ところで、北軽井沢といえば戦後の日本のモータースポーツを語るときに欠かせない浅間火山レースの舞台である。
1955年の第1回大会は北軽井沢をスタート地点とする公道を使用して開催される。1957年に浅間高原自動車テストコースが完成し、第2回大会からはこのコースを舞台に開催されることになる。

舗装こそされていないが1周9.3kmの国内初の本格的なロードコースには、ホンダ、ヤマハ、スズキという現存するメーカーから、メグロやトーハツ、ポインターといった幻となった名車が集い、ライダーは幻の天才、伊藤史郎をはじめとして、第3回大会でホンダのRCレーサーを押さえてベンリイ改で優勝を飾った北野元、マン島TTで日本車に乗る日本人選手として初の入賞者となる谷口尚己、後に四輪レーサーとしてスカイラインの黄金時代を築くことになる高橋国光、砂子義一といった現代にも語り継がれる名人である。



浅間火山レースが開催された期間は短いが、コースは現存している。残念ながら時折エンデューロやダートトライアルが開催される日以外は立ち入り禁止になっている。

ここからは想像力の勝負だ。

現在、私が立っているのはホームストレート。幅員はおよそ20メートル。勾配は殆ど無い。霧のため最終コーナーの大森カーブの線形を伺うことはできない。

振り返ると、カスミのカーブをはじめとする緩いコーナーが連続する区間が続き、ファーストファイトと呼ばれるストレートを経て180度ターンし、セカンドファイトへと続くのだが、この区間は牧草地に戻されている。それでも、大森カーブを立ち上がって全力でホームストレートを駆け抜け、ファーストファイトへと至るマシンの姿を想像するには充分だった。



そして、軽井沢から上信越道へと至る道から見える山はドラゴンボールを思い出すのに充分であった。
プロフィール

コーテル・リャン

Author:コーテル・リャン
東に不動車があれば引き取って直してやり
西に峠があれば行ってそこを越え
テントを張れば雷雨に怯え
林道に入ればヨタヨタ走り
誉められもせず 苦にもされず 
そういう人が私です。

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